東日本大地震の記録2

東日本大地震の記録2

≪続き≫

3月とはいえ
八戸はまだまだ寒い時期です。

電気が無いと
何も使えない事に気がつきました。

水とプロパンガスが生きていたので
料理はできるようでした。

昔もらったでっかいローソクと懐中電灯で灯りを保ち
とにかく厚着していました。

余震のたびに外に飛び出したり
机の下に隠れたり
上の娘は特にナーバスになっているようでした。

夜はiphoneで見るTwitterとラジオで
ずっと情報を収集していました。

とんでもない規模の地震が起こったこと
とんでもない津波が来たこと
とんでもない被害になりそうなこと。

家の中なのに息が白い寒さの中で
ずっとラジオに耳を傾けていました。

電気が通ったらニュースを見なきゃいけない
そう思いながら上着を着たまま
布団にもぐりこみました。

次の日の朝
まだ停電は続いていました。

ふと
「ワンセグ見ればいいんだ」
と気づきました。

ケータイを開いて
久々にテレビの画像を見ました。

まず飛び込んできたのはコンビナートの火災でした。

そして津波。

すぐそこの岩手で
家屋がメキメキと音を立てて壊され流されていってました。

愕然としました。

何度も流される映像を
ずっと眺めていました。

夜に備え暖をとれるものを探しに出ましたが
収穫は電池とライトと水だけでした。

2日目の夜も寒かったのですが
被災した人たち、亡くなった人たちの事を考えれば
このぐらいは我慢しねーばと思いました。

昔の人たちの生活を想像し
どれだけ自分たちが贅沢に過ごしてきたか
思い知りました。

3日目には電気が通りました。

ケータイとiphoneは
2日目からつながらなくなりました。

基地局はある程度の停電には耐えられる
バッテリーを持っているのでしょうか。

テレビで見る災害の映像はどんどん増え
ワンセグで見るより迫力があり
ショックも大きくなりました。

前職の本社が仙台の若林区にあるのですが
そこまで津波が押し寄せて
何百という遺体があがったといのもショックでした。

そういえば
岩手の宮古には親戚のけんちゃんの一家が
居酒屋をやっているのです。

電話とメールをしましたが
やはり連絡がとれませんでした。

東京に住む彼の妹にも連絡は入っていないそうです。

心配になってネットで調べまくりました。

住所の宮古市築地は壊滅状態らしい。

かなりの人が流されたらしい。

駅まで浸水したらしい。

(もしかして…)



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2011年3月20日|コメント (0)トラックバック (0)

カテゴリー:八戸だべ

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